※小田原馬車鉄道の開業〜熱海線開業の騒動の前までは史実と同じなので省略します。
※事故・災害等は原則として扱いません。

1.鉄道省に対抗せよ!

国府津〜小田原〜湯本の路面鉄道、湯本〜強羅の登山鉄道などの鉄道路線や電気事業などを運営し全盛期を迎えた小田原電気鉄道(以下小田原電鉄と表記)。
会社の真の発展はこれからだ。と思っていた矢先、「鉄道省熱海線の建設が進み、平行路線として小田原電鉄国府津〜小田原間を廃止予定」と言う衝撃的なニュースが舞い込だのです。

これを受けて保証金を貰って廃止…と言う判断は下さず、米国を手本として広がりつつあった都市間電気鉄道(インター・アーバン)の流儀を持ち込んだ高速電車を子会社「新小田原電鉄」を設立した後に建設、鉄道省に対抗する事となりました。

2.建設〜開業

今までのルートはそのままに専用軌道を新たに敷設する事となりましたが、近接した駅の統廃合や新ルートである大手門〜(鉄道省)小田原駅間は高架路線になるなど多少の変更。

建設は順調に進み1922年4月1日に小田原〜国府津の全線が開業しました。

3.開業後〜戦中

開業後は路線の主題である国鉄との競争に執念を燃やしていた新小田原電鉄。
そんな中親会社であった小田原電気鉄道は様々な事情から資金繰りに困り、配電事業に興味を持った日本電力に買収される事となりました。
外様の会社に指示されずに鉄道事業に集中をしたい新小田原電鉄は買収を目前に控えた時に完全な分離を果たしました。現在も続く微妙な関係はここから始まります。

時は流れ1940年代。戦時中の世の流れによって他の関東私鉄が東京急行電鉄により買収、「大東急」の構成がスタート。
買収が進む中、江ノ電や箱根登山などの地方鉄道会社も傘下に収められ、新小田原電鉄もその流れに飲み込まれる事となりました。

世の中の状況が悪くなるにつれ、車両の稼働率低下や設備の老朽化を理由に急行のスピードダウンや減便なども実行。

4.戦後

戦争が終わり復興の時代、再び独立をした鉄道は「酒匂電鉄」と社名を変えました。
諸事情により長い間設備・車両の更新は厳しいやりくりを強いられていましたが、米国の技術などを用いた高性能電車の時代となったところで重い腰を上げ設備の更新や急行・各停ともにサービス向上と国鉄との競争力アップの為の新型車両開発/投入が開始。